久しぶりにブログを更新しようと思ったら、使い方がわからず、アダルトサイトのコメントばかりにやる気をなくしておりましたが、今回は同じアメーバブログでリニューアルして、またブログを始めております。


 私がやっている大航海時代オンラインというネットゲームをやりながら、そこに発見される歴史ネタを主に扱うブログなので、今まで読者の方は勿論、ネットゲームに興味がある方、また大航海時代を楽しんでる方にも、楽しめる内容となっております。


  Me pudet imprudentiae meae. (DOL冒険発見物のメモリー)


 リンク張っておきますので、是非、遊びに来てくださいね。



 落合監督の采配に、今、多くの方が賛否両論の意見を出している。


 選手の夢を潰したと非難する記者もいた。長島監督ならやっていたともいっている。


 日本シリーズでの完全試合での優勝の目前、落合監督は好調だった投手を交代させ、9回に抑えの守護神を投入した。結果、中日は試合に勝った。


 私はこのとき、ある漫画の場面を思い出した。そう言わずとしれた超有名青春野球漫画「タッチ」である。


 まあ、知らない方はあまりいないと思うが、少し漫画の概要を説明しておく。


 タッチ


 、あだち充作の野球漫画。『週刊少年サンデー』(小学館)に1981年~1986年まで連載。アニメ化もされ、実写映画化もされた、あだち充の代表作。単行本全26巻、ワイド版全11巻、文庫版全14巻、完全版全12巻。単行本の総売上は1億部を超えており、あだち充の全作品の半分以上を占める売上である。高橋留美子の『うる星やつら』とともに1980年代前半の『週刊少年サンデー』の看板作となった。(WIKIより抜粋)


 

上杉達也上杉和也は一卵性双生児。スポーツも勉強も出来る弟の和也に対して、何事にもちゃらんぽらんな兄の達也。そして隣に住む同い年の浅倉南。3人は同じ中学・高校へ進む。『甲子園に連れて行って』という南の夢を叶えようと1年生でありながら野球部のエースとして活躍する和也だったが、地区予選決勝の朝に事故で亡くなる。そして達也は和也の夢を継ぐ。南の夢を叶えるという夢を。


 とまあ、こんな内容の話である。


 さて、私が思い出した場面を説明する。それは甲子園の出場がかかった決勝の試合である。


 9回、最後のバッターは達也のライバルでもある新田という打者。しかも、4番でホームランも打っていた。まさに、最後の締めに相応しく、カウントも2アウトだった。


 そこで、明青の柏木監督は語り出す。


 この場合、どう考えても新田を敬遠するのが上策だと。だが、上杉達也は逃げずに新田と真っ向から勝負した。そして、新田を見事打ち負かして優勝した。


 あくまでも漫画の展開上、最後が敬遠で終わるようなのはほとんどないのは頷けるし、投手が勝負したい気持ちもわからないでもない。


 けれども、監督の仕事で最優先なのはチームが勝つことである。そう、そこに視聴者と落合監督との差があったのだ。


 私たちはどう見ても、あれから逆転もなく、遅かれ速かれ中日が優勝することは予想していた。それなら、記憶達成になるかどうかに注目が集まった。


 だが、プロ野球は青春ではない。選手の記録よりも、絶対に勝つことを優先しなければならなかった。


 そこにプロの監督という落合監督の強い意志があったのだろう。それを非難することが本当に我々はできるのだろうか。選手の気持ちを考えれば悪い采配だと思うかもしれない。だが、プロ野球は選手の記録のために存在しているわけではないのだ。


 わたしは、落合監督は素晴らしいプロ野球の監督だと評価したい。確かに、完全試合の記録はなくなったが、中日は優勝した。日本一に輝いたのだ。


 日本一、おめでとうございます。この場で、祝辞を述べたいと思う。



 気がつくと、もう10月が終わりかけていることに気づくが、気になった記事を見つけたので、こうしてパソコンをつけ、ブログを書いている。


 金大中事件


 私はこの事件の名前を聞いた頃を今でもはっきり覚えている。ちょうど、中学三年生の頃だ。あの頃から歴史好きであった私は期末試験の勉強のために、世界史で先生に配られたプリントを見ていた。


 ちょうど、世界史も終わりを迎え、現代史の分野に入るまでだったと思う。その中で、ただ「金大中事件」とだけ、書かれてあった年表を見たとき、どんな事件かわからなく、先生に質問した。そして、返ってきた答えがずっと忘れることができなかった。


 「突然、韓国から日本に来ていた金大中氏という人が行方不明になった。日本政府も探したそうだが行方は掴めなかったそうだ」


 私が神隠しという意味を知ったのはまさにその事件がきっかけだったのだ。そして、何とも奇妙な事件があったんだなと思い、今に至る。それほどまで印象が強い事件だった。


 そして、ウォーターゲート事件に続き、その真相がついに明らかになった。そう、それは神隠しでもなんでもなかった。韓国政府が国を挙げてやった組織ぐるみの犯行だったのだ。その犯行を堂々と日本で行い、当時の政府も黙認していたという事実に驚かされる。


 そして、韓国側は事件を明らかにしながらも、日本政府に対して正式な謝罪もしないという事実。そして、謝ってもいないのに、不問にしようとする福田総理。


 なるほど。昔も今も何も変わっていないわけだ。政府はいつまでも同じレールの下でしか行動を起こさない。国民を欺き、必死に捜査してであろう刑事や警察関係者にも何の謝罪もなし。


 おかしいとは思わないのだろうか?


 いくら向こうの政治的な問題が関わっているとはいえ、犯行は当時の日本で行われたのだ。


 拉致問題ばかりマスコミは重点に取り上げるが、客として来ている人間が行方不明になったのを政府が黙認したというのは情けなすぎる。これで本当にいいとおもっているのか。日本の主権はどこにあるのだ。そうまでして、外交問題のほうが重要なのであろうか。そして、韓国政府に正式な謝罪すら求めないのか。


 一体なんなのであろうか。顔色みてしか相手と外交できないのが今の総理の全てであろうか。


 私は幻滅した。対話路線でも何もない。許してはいけない事実を許す。人の倫理観すら持ち合わせていない。こんなのが本当に日本の総理大臣をやっているのか。私はこんな総理をこれから支持することはありえない。


 記事を読んであまりにも腹立ちを覚えた。怒りを通り越して情けなく思えた。これが日本のトップなのだ。リーダーシップという言葉は虚空へと消え去り、日本の主権は外国に簡単に潰される。


 日本人のアイデンティティーはもう失われたのだろうか。義を重んじる侍の魂は受け継がれていないのだろうか。


 最近、連続して明らかになった数々の偽装事件に関しても同じである。何を持って我々は信じろというのだ。消費者を騙し続けた罪の意識を本当に感じているのか。


 地下倉庫に実名と病院が書かれた資料が残っていました。いまから、千円ずつ国民からお金出させますんで、許してください。ふざけているのかと。その資料の価値が命の重さに該当することは関係者なら誰もが知っていたはずである。30万人に投与し、危険な藥とわかっていながらも使用した製薬会社。また行政指導を行いながらも、事実を隠蔽し、ほったらかしにしていた国の責任はあまりに重い。亡くなった方や遺族にどのように詫びるというのだ。もっと早く公表すれば救えた命も少なくなかったであろう。病気が重くなることもなかったであろう。


 深い憤りを今月はずっと感じていた。もっと良いニュースはないのだろうか。あまりにも、身勝手から生じる事件が大すぎる。倫理観の欠如がもたらした事件である。


 本当に世の中、生きづらくなっているとおもう。だが、それでも生きていくしかない。


 次はもう少し、楽しい話題を提供しようと思う。


 かなり私の怒りが入った文章になってしまったことを詫びたいと思う。



 前回の続き。雑談にするつもりが、いつのまにか問題にまで話が発展しましたので、ここでもう一度おさらいしておきます。


 景観条例とは、全国の地方自治体で、街の景観を守るため、建築物の高さなどに規制を設ける条例です。


 私が住んでいる京都市でも勿論、じつは他の市でもこの取り組みが行われております。


 私のいつもの論理では、反対意見だけを持ってきても、公平ではありませんので、景観条例に賛成する意見も取り上げていきます。まずは簡単な経緯を説明。


 国土交通省は2003年、景観を保全していくための基本的な考え方をまとめた「美しい国づくり政策大綱」を策定した。そこに景観に関する基本法制定の方針が盛り込まれ、05年6月、地方自治体の景観保全を支援する景観法が全面施行された。高層マンション建設をめぐり、業者と周辺住民とのトラブルが相次いでいたことが背景にある。外国人観光客を誘致し「観光立国」を目指すことも狙いの一つだ。これを受けて、景観への規制を設ける地方自治体が増えた。(読売オンラインから 抜粋)


 具体的な法律もここにわかりやすい説明が載っているので抜粋。


 都道府県と政令指定都市、中核市を景観行政団体と定め、景観に関し強制力のある規制ができるようにしました。他の市町村も都道府県の同意があれば景観行政団体になれます。規制の内容は各景観行政団体に任されています。景観計画を作って条例改正などを行えば、建築物の高さやデザイン、色彩などを規制できます。基準から外れた建築物には設計の変更命令を出せ、応じない場合に最大50万円の罰金を科せます。


 では、景観をよくするとどうなるのか?


 「住宅地では、美しい街並みになれば住民の満足度が高まるでしょう。商業地や観光地なら、訪れる人が増えて土産物などの販売額が増える経済効果が期待できます。埼玉県川越市のように、地元の人たちが協定を結んで蔵造りの街並みを保全した結果、注目を集めて観光客が増加した例もあります」


 と、専門家はいっております。


 では、反対意見もここから抜粋。


 「京都市に、屋外広告の業界団体と一緒に規制見直しの要望書を出しました。地元の広告業者には死活問題になりかねません。ネオンは街のにぎわいや彩りには必要なものです」


 「ビルやマンションを建設する場合、高層にできれば土地を有効利用できます。テナント数や販売戸数を増やせるからです。規制で高さが低くなれば、本来は得られたはずの収益が失われます。不動産の価値が下がれば、地主が不利益を受ける可能性があります。過度な規制は、経済活動を妨げる懸念もあります」


 まあ、ここまでの内容ならただネットから拾ってきたものなのだが、ここで少し視点を変えてみようと思う。なぜ、私が過度の景観規制に賛成しないのか。それは京都市の財政も関係がある。


 京都市の昨年の財政をここに記すと


 歳出


 社会福祉      2122億円

 道路整備等     1163億円

 市債の返済     812億円

 教育         613億円

 その他        2010億円


 総額  6720億円


 性質別歳出


 給与費       1312億円

 扶助費       1343億円

 公債費       803億円

 投資的経費    835億円

 物件費等      2427億円


 歳入


 市税        2421億円

 地方交付税    958億円

国庫支出金    983億円

 府支出金     137億円

 市債        736億円

 その他       1576億円


 総額        6811億円


 国が何百兆円も借金している現実があり、京都市にも借金するなとは言えないが、この財政が危機的な状況にあるのは見ての通りである。京都市の人口に劇的な変化がないかぎり、私たちが払う市民税を考えてもたいして増収にはならない。すでに予算で結果は出ている通りであろう。


 なら、京都市が財政削減をするために、当然、支出を減らすことが必要になる。そのために、市長が5年ほど前に、緊急事態宣言を出したことを覚えている方もいるはず。580億円の多額の借金を背負っていた。あれから様々な制度や削減によって少しは改善されたようにも思える。しかし、いつ夕張市のように財政破綻をするか、油断ならない状況である。


 その中で、できる限りの削減も加えて、当然、歳入(収入)も増やす必要がある。だが、この景観条例は、歳入を増やすという観点からすれば、-効果になるのは火を見て明らかである。


 観規制をまったくするなとはいわないが、過度な規制によって、看板業者、不動産からの収入を激減させてしまえば、本末転倒であろう。持続可能な開発こそが望まれるのであって、観光収入という不確かな収入見込みを当てにして、規制を強化していけば京都の発展はありえない。


 多くの有名企業が京都から出てからはでは遅いのだ。収入がなくなって、じゃ規制緩和しますでは、誰も京都に見向きもしない。景観が良ければ、京都はなんとかなるというのは幻想だと、私は思う。


 おしまいにこんな事例も紹介しておこう。


 京都市は建物の高さ規制によって、現在、建設されているビルやペナントは、規制より、上の階にはプレミア価格がついている。同じビルやペナントなのに、借りる値段は数倍近く違うのだ。


 これがどういう理由なのか説明するまでもない。


 長くなったが、私が反対する理由を述べた。これをどうとらえるかは読者に任せようと思う。

 


 


 


 


 



 まずはじめに、ほとんど更新もしていないブログに来てくださる方、全員に感謝いたします。気がつくと、9月も終わり、10月に入ってます。9月の記事数は『4』と、一週間に一回ぐらいの更新スピードでした。


 たまに、私の知り合いやらブログを見ているかたに、意見を伺うのですが、だいたいはコンテンツの続きを書いてほしい。連載記事はしっかりおわらせてくれ。などなど・・・要望があります。


 その中で、宝石の歴史についてもっと知りたいという方が多くおられます。実際に、私のコンテンツの分析では、宝石に関するブログの閲覧数が約半数を占めていたりもしております。なので、できる限り、要望に応えたいと思うのですが、なかなか、現実にはそうはいかない状況です・・・。


 とりあえず、謝っている時間があるなら、記事を書く方が有益だと思いますので、今回のブログをはじめさせていただきます。しかし、読んでいる方がいるかぎり、ブログの更新を止めることはありませんので、どうか長い目で見守ってほしかったりします。


 季節は秋、秋刀魚の美味しい季節がやってきました。私事ですが、私の中で、上位ランクに位置する魚です。大根おろしをすって、醤油かポン酢をかけて、秋刀魚を食べると秋を感じます。


 私のブログで、秋刀魚を読めない方はあまりいないと思いますが、一応、秋刀魚(さんま)と読みを説明しておきます。


 秋刀魚の話から一気にずれて恐縮ですが、私の住んでいる京都市は今日から資源ゴミの袋が有料化されたりします。前に、ゴミ袋の有料化が行われたと思えば、今度は資源ゴミの袋まで登場しました。


 地球温暖化対策、環境への配慮、リサイクル、ゴミの少量化などが狙いだとパンフレットに書いてありますし、実際に効果もあるでしょうし、家庭でもそのように分別が強制されます。


 資源ゴミというのは何なのか? どうやらペットボトルについているキャップは資源ゴミだそうです。つまり、これからはペットボトルはペットボトル・空き缶などの袋にいれ、キャップは資源ゴミの袋に入れて回収という手はずです。私のような人間には手間が一つ増えただけで、これからは紙パックの飲み物にしようと考えたりしますが、それはおいといて、日本全国でもこうした取り組みは確実に増えていくでしょうし、私が住んでいる京都市ではこういった様々な規制が積極的に行われております。その中で特に、京都市が率先して行っている規制が『景観』です。


 様々な景観条例


 私は京都が好きです。最初に断っておきます。ですが、京都の未来を本当に考えるならば、これでいいのだろうか? と疑問に思います。景観条例とは、簡単に言えば、京都の町のすばらしさを残す条例だと、私は解釈します。つまり、今の京都の伝統的な景観を残し、『観光の街』として、京都を復興させる。そんな意気込みのために作られた条例だと思います。


 何を言っているんだ? 京都の景観を残すのは京都人にとって必要なことではないのか? というような意見もあるかと思います。でも、それは『都市の発展』という観点から物事をとらえていないのです。このまま京都が規制を強化していけば、京都は確実に廃れていくことになります。


 景観条例にも色々ありますし、中には自動販売機の大きさまで決められていたりもしますが、そんな詳しい内容は法律ならいざ知らず、条例なので京都市以外に住んでいる読者には全く関係ないので、そういうデータは省いて省略します。ですが、その中でも『野外広告物条例』『建物の高さに関する規制』、この二つがもっとも重要だと個人的には思っております。


 野外広告物とは、店の看板が主で、屋上看板や点滅するネオンを使った広告を市内全域で禁止されましたし、建物の高さに関する規制とは、中心部の幹線道路沿いでは建築物の高さ制限を最高45メートルから31メートルに引き下げるという規制です。だいたい、7階建て以上のビルやペナントが対象になります。


 思ったより長くなってます。この問題はかなり重要であるので、じっくり書きたくなったので、次回に回したいと思います。