前回は1215年イギリスで起こったマグナカルタをとりあげ、法律の問題点を指摘しました。


 少し補足しておきますと、王様が好きに作れる法律は、王様を縛ることができないということです。


 しかし、ジョン王によって、短い間だけでも、例え王であろうが、破ることができない法律ができあがりました。マグナカルタはそういう意味では、最初の憲法ともいえるのではないでしょうか。すでにgoldius さんが指摘されたとおり、憲法の重要性一つあげれば、国を縛ることが可能な法律だということです。もちろん、改正することはできますし、日本以外の国々ではしばしば憲法の改正は行われてきました。ですが、改正するにはやはり厳格な手続きが必要とされ、多くは議会の承認をもって初めて、憲法の条文を修正しています。


 「王といえども神と法の下にある」


 この言葉を耳にした方もいると思います。これは13世紀にブラクトン判事が暴君の法を無視した政治を批判して述べた言葉です。この言葉は、現代の法律を考えるゆえでも、大変極めて重要な意味を持っています。そして、度々歴史を揺るがす革命にも出現します。


 では、現代の日本の場合はどうでしょう。前にも書きましたが実は一字一句も改正されておりません。戦後60年経ち、社会は大きな変化を何度も遂げ、私たちの環境が激変しているにも関わらず、憲法は一度も改正されていないのです。いったいどうしてなのでしょうか。言うまでもありません。国はずっとこの問題を後回しにしてきたのです。


 憲法の9条の問題をはじめとする自衛隊の存在、北朝鮮のミサイル実験によって作られた有事法など。私たちの国がいくら平和といっても、海を越えれば危険な世界が広がっていることを忘れていた・・・いや、考えもしなかった。自分たちの国が平和なら、世界がどうなろうとどうでもいい。しかし、もう、そうはいってられない状況になっています。


 北朝鮮の核問題を始め、中国の目覚しい発展、イラン、インド、パキスタン、パレスチナなどの多くの問題が世界を危険な状況を運び、パックス=アメリカという超大国の存在は、いつの間にか世界から孤立する道を辿り起きたイラク戦争。そのイラクでは、今でも治安は回復せず、多くの人間が犠牲となっております。


 話を戻しましょう。マグナカルタはジョン王の一代で終わりを迎えましたが、大航海時代をきっかけに西欧諸国がこぞって新大陸を捜し、人々は黄金を求めて船に乗り、アフリカ、インド航路の発見、コロンブスの西インド諸島の発見、マゼランの部下の世界周航などにより、世界は西欧諸国によって、あるべき姿を見せ始めます。


 大航海時代は商人に巨大な富をもたらしました。それは貴族の没落の遠因にもなります。海の領海争いは特に騎士を没落させていきます。次々に優れた大砲が発明され、鉄砲の改良などが従来、重い鎧と兜で戦争をしていた戦争スタイルを一変させてしまいました。


 時代はすでに貴族を必要とせず、貴族は大商人の保護や王様の権力によって辛うじて、存続を許されるような存在へと変貌していき、王様はそれをいいことに貴族の土地を没収しては、傭兵制を重視していきます。中世世界の根本にあった王と貴族の関係はいつしか廃れました。


 傭兵制が徴兵制に変わるのは、もう少し時を待たねばいけませんが、その話は別の機会にして、憲法の歴史をさらに見て行くことにします。上で説明したのは、いままで富を蓄えていた貴族が没落し、その富をメディチ家やフッガー家をはじめとする、大商人が独占していくという流れです。


 これは、一般市民の資本の蓄積を意味します。いままで富や財産は、王や貴族が独占していたわけですが、その富が商人へと移されていくことが重要です。なぜなら、資本の蓄積が、資本主義に発展していく経過になるのは説明するまでもありません。しかし、もう一つ重要なのは、資本の蓄積によって、例え、王であろうが、莫大な富を築いた商人を自由にすることが難しくなってしまったということです。


 いままでのように、勝手に法律を作って税金を徴収したり、税率を高くしようとすれば、商人たちの反発を招き、結果として、戦争のために必要な資金を集めることができなくなってしまったのです。戦争には多額の資金が要るので、王は商人たちが怒って、金を貸さなくなれば、その時点で戦争どころではありません。王と言えど、もはや自由に振舞うことはできなくなっていくのです。


 長くなったのではつづきはまた。