前回は大航海時代において、貴族が没落し、商人が富を蓄積していく流れを紹介しました。今回は少し視点を変えてお送りいたします。


 市民とは何でしょうか?


 1)その市に住んでいる人。また、都市の住人。
「―会館」

(2)〔citizen〕国政に参与する権利をもつ人。公民。中世ヨーロッパ都市の自治に参与する特権をもつ住民に由来する。

MSN辞書から抜粋


 私たちがよく知っている市民の意味は1だと思います。今回、説明するのは2の意味なのはおわかりかと。


 中世ヨーロッパの都市


 テレビや雑誌やら何かで中世の街を見たことがあると思います。一つブログにも載せて見ましょうか。


 


 この写真の風景はイタリアのフィレンツェだそうです。フィレンツェといえば、中世イタリアにおける代表的な都市の一つで皆さんもよくご存知だと思います。現代の西欧でも、こうした中世の風景が残っている場所がたくさんあるのがうらやましいかぎり。日本では、京都ぐらいしか昔の町並みを見られるところを私は知りません。他にもあるかもしれませんが、ヨーロッパのように数多くはないでしょうね。


 話を元に戻します。中世の都市はギルドと呼ばれる商業組合を作って、師匠と弟子という関係で成り立っていました。また、職人技術の流用を嫌い、都市ごとに独自の文化を築いていたというのが特徴です。なので、徒弟制度というのは、師匠から弟子へと受け継がれる技術であり、それは秘伝であるために、本に書かれることもあまりありませんでした。


 そんな中世都市はある組合の登場によって大きく変わります。



 ハンザ同盟はご存知でしょうか?



 

ハンザ同盟(はんざどうめい)は、中世後期に北ドイツを中心にバルト海沿岸地域の貿易を独占し、ヨーロッパ北部の経済圏を支配した都市同盟である。「ハンザ (Hanse)」は古高ドイツ語で「団体」を意味し、もともと都市の間を交易 してまわる商人の組合的団体のことを指した。

 

 ハンザ同盟の中核を占める北ドイツの都市は神聖ローマ帝国の中で皇帝に直接忠誠を誓う帝国都市であり、相互に独立性と平等性を保つ緩やかな同盟であったが、経済的連合にとどまらず、時には政治的・軍事的連合として機能した。しかし同盟の中央機構は存在せず、同盟の決定に拘束力も弱かったので、政策においてはそれぞれの都市の利害が優先された。

 

リューベック、ハンブルク、ブレーメンなどかつてのハンザ同盟の中心都市は「自由ハンザ都市」を称して中世以来の都市の自由をうたっており、21世紀の現在もなおハンザ同盟の遺風を残している。(WIKIより)


 ドイツ・ハンザとも呼ばれていたそうですが、14~15世紀が最盛で、14世紀後半には極盛期を迎え、加盟都市は最大で200を越え、ロンドン、ブリュージュ、ベルゲン、ノヴゴロの四大拠点(外地ハンザ)などに在外商館を置いて北方貿易を独占します。


 また、軍事力も行使しており、一国の国として、フランスやイタリア、イギリスなどの西欧諸国から、重要視されていたほどです。


 ハンザ同盟の登場は、ひらたく日本で言うならば平家のようなものです。「平家でなければ人であらず」、現代なら、国際的な標準規格ISO9000シリーズみたいなものでしょうか。あまり良い例ではないような気がしますが、なんとなくわかってもらえればいいです。


 商人の富の蓄積が中世都市を発展させ、やがて、都市の自冶を要求するようになります。中には、王様でさえ、ある許可状がなければ、都市にいれてもらえなかったこともあったそうで、商人の力を見せつけるエピソードの一つになっています。そんな都市を集めていくのがハンザ同盟であり、やがては一国の国にも劣らない巨大な勢力へと成長します。


 「都市の空気は自由にする」


 都市が発展するにつれて、商人以外の人々も、例えば、農奴であっても都市の市壁内で「1年と1日」生活すると自由人となれました。この言葉は,領主に対する都市住民の自由をあらわすことばで,きわめて政治的な意味で生まれたことばだったのです。


 色々脱線しておりますが、流れ的には簡単です。都市が発展して行くにつれて、人々は政治に参加するようになり、自分たちの都市の規則や法律を決めていくようになります。そして、それが議会へと繋がっていくことになるのはなんとなくわかると思います。


 そして、大航海時代が終わりを迎え、清教徒革命、名誉革命へと至る時、人々は議会を作り、政治を王様ではなく、自分たちの代表者に任せるようになっていくのです。


 あまり、憲法の話題に触れずに終わりましたが、次回は権利の請願から憲法のお話をやって行きたいと思います。