さて、憲法について書いていく話も、いよいよ中盤に差し掛かりました。もう一度3つの疑問を並べて見ます。
1.なんで憲法を変える必要がある?
2.そもそも、憲法ってどうしているの?
3.日本の憲法って、誰が作ったの?
前回までで2の疑問については解説しましたので、詳しくは前回を参照してください。今回は1と3を両方やって行きたいと思います。この二つは密接に繋がっていますので、実は3の答えがわかれば、1の疑問を考える材料になります。
実際、1の疑問の答えを考えるのは私だけではありませんし、私が考えた答えを書いたとしても、それは一つの意見であり、絶対そうだと言うわけではないので、もう一度、述べておきますが、このブログはあくまでもそうした意見もあるという程度にとどめてください。憲法変える必要性を論じるブログではないということです。
では、このブログはなぜ書くのか?という意見も出るかもしれません。それはもう一度考えて欲しいということです。あまり難しい話にする気はありませんが、この疑問は現在進行形であり、専門家の間でも統一した意見があるわけでもないのです。ですが、考える材料を与えずに反対やら賛成、はたまた意見を述べるのは、私的には論理的とは思えません。ですので、私なりに考えた憲法の必要性を書きました。
未熟な文章ではあり、考える材料の一部を書いているだけにしか過ぎません。ですが、少しでもこの問題を考える時に役に立つことがあれば、私なりに読者様の役にたったということで嬉しく思います。
『日本の憲法の創始者と民主主義』
時代を遡ること60年余り。ブログを見ている方はほとんど生まれていない時代の話。日本はアメリカと太平洋戦争の真っ最中でした。
戦争の結果は誰もが知ってのとおり、日本は長崎と広島に原子爆弾が落とされ、その数日後にソ連(今のロシア)が参戦し、日本はポツダム宣言を受諾、アメリカ軍を中心とする連合国に占領されます。
ポツダム宣言 昭和20(1945)年8月14日 日本受諾
ポツダム宣言は全文13条からなり、もちろん原文は当時の日本語で書かれています。ですが、それを読んだとしても意味がわかりにくい。ですので、ネットで現代語訳がありましたので、これを載せることにし、わたしなりの説明を加えていきます。
説明するまでもありませんね。連合国で意見が一致して、日本に降伏勧告をしているという内容です。
ニ 合衆国、英帝国及び中華民国の巨大な陸、海、空軍は、西方より自国の陸軍及び空軍による数倍の増強を受け、日本国に対し最後的打撃を加える態勢を整えた。この軍事力は、日本国が抵抗を終止するまで、日本国に対し戦争を遂行しているすべての連合国の決意により支持され、かつ鼓舞されているものである。
この時といいますか、すでに連合国は日本が戦争を継続できる状態ではないということを知っていました。立て続けの敗戦、東京大空襲を始めとする本土空襲、沖縄戦、あらゆる状況が日本に抵抗できるだけの戦力があったことを物語っておりません。
そういえば、あるお偉いさんが、日本に原爆が落とされたのは仕方がなかったと、まさに爆弾発言をして辞任に追い込まれましたね。少ないデーターを持ち出す必要性もなく、例え、原爆が落とされなくても、遅かれ早かれ日本が降伏していたことは明白です。国を運営するお偉いさんは、こんな簡単なことがわからないようですので・・・もう一度、歴史の勉強をすることを勧めます。
ポツダム宣言の署名がなされたのが7月26日です。このことであることに気がつきませんか?すでに日本に戦う力がなかったことは、どんなに遅くても7月26日の時点において、連合国は確認しており、そのための戦後の取り決めがなされていたということです。
さらにアメリカとソ連の密約、今の北方領土問題にも関わるヤルタ協定などは1945年2月に結ばれています。近代史というのは複雑に絡み合っておりますので、一つ歴史の話をすれば、他の話も出てきて、一向に終わりがなく続いて行きます。今回はポツダム宣言だけを視野にいれて、続けて行きます。
なお、ヤルタ協定の話は、北海道を紹介した時に触れたのでこちらを参考にしてください。→ヤルタ協定
これも説明するまでもなさそうですが、さっさと降伏しろということです。
他に条件はつけない。これ以外は認めない。つまり、最終通告。
日本が世界征服を企んだかまではわかりません。
七 このような新秩序が建設され、かつ日本国の戦争遂行能力が破砕されたという確証があるまでは、連合国の指定する日本国領域内の諸地点は、われらがここに指示する基本的目的の達成を確保するため、占領される。
この7条に基づいて、日本は連合国に占領されたわけです。
八 カイロ宣言の条項は履行され、また、日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国並びにわれらが決定する諸小島に局限される。
カイロ宣言というのは、簡単に述べれば三国軍事同盟を結んでいたドイツ、イタリア、日本の処遇についてのことです。長くなるので今回は触れません。
九 日本国軍隊は、完全に武装を解除された後、各自の家庭に復帰し、平和的かつ生産的な生活を営む機会を与えられる。
機会を与えられる。確かに日本軍は解体され、兵隊は街に戻ってきました。ですが、ほとんどの街は焦土、焼け野原と化しており、平和的かつ生産的な生活などとは程遠いものだったことは言うまでもありません。
十 われらは、日本人を民族として奴隷化しようとし又は国民として滅亡させようとする意図を有するものではないが、われらの俘虜を虐待した者を含む一切の戦争犯罪人に対しては厳重な処罰を加える。日本国政府は、日本国国民の間における”民主主義”的の復活強化に対する一切の障害を除去しなければならない。言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は、確立されなければならない。
いよいよ出てきました。わざわざ赤く強調した民主主義にご注目ください。さて、この文章を理解するキーワードは民主主義とは何かにあります。それを次回に説明して、残りの宣言を見ていきたいと思います。