2007年8月15日


 この日は私たちにとって特別な日である。


 時代が移り行く、戦争を体験しない人々は増える一方、あの戦争で何であったかすら議論はいまだに出しつくされていない。


 勝者の価値観で戦後が動いたのは誰の目でも明らかである。そして、その典型たるものが『東京裁判』だというのも知っている人も多いだろう。戦勝国が敗戦国を裁く。それは古今東西変わらず行われてきた。


 東京裁判は敗戦国『日本』を裁いた。その中で、戦争に関わった多くの人々が裁かれた。戦争を巻き起こしたと張本人といわれる東条英機元首相を始めとする陸海空軍の指揮官クラスが『A級戦犯』として裁かれた。


 そして、裁かれたA級戦犯の人々は今も靖国神社で眠っている。


 8月15日 日本の今を担う内閣総理大臣を始めとする内閣の人たちは一人を除いて参拝をしなかった。参拝は『心の自由』というのが主張である。しかし、それはただの建前なのは誰が見ても明らかである。あの参院選の自民党の歴史的な惨敗により、国民の声は内閣に届くはずであった。


 しかし、声は届いていなかった。誰も内閣改造を望んでいたのではない。内閣そのものの退陣を要求していた。人気取りもできなくなり、ぼろぼろの内閣、歴史的な価値観も主張できず、ただ外交関係が悪くなるというだけで、あの戦争に深い懺悔の念しか持つことができない。あの戦争を繰り返さない。果たして誰が誰に言うべき言葉なのだろうか。


 その中で、小泉元総理は自分の理念を今年も貫いた。あの戦争がなんであったかの答えを自分なりに理解しているのだろう。それこそ、心で語るということではないだろうか。小泉元総理の訪問に罵声を浴びせた歴史知らずの人間も少なからずいるようではあったが、そんな批判などは自分の倫理を貫けない浅はかな者たちのいいわけである。


 「東京裁判で何もかも悪かったとする戦時宣伝のデマゴーグがこれほどまでに日本人の魂を奪ってしまったとは思わなかった。東京裁判の影響は原爆の被害よりも甚大だ」


 インドのパール博士が残した言葉である。博士は東京裁判が勝者の論理で裁いたことを批判してさらにこう述べている。


 「戦勝国が敗戦国の指導者たちを捕らえて、自分たちに対して戦争をしたことは犯罪であると称し、彼らを処刑しようとするのは、歴史の針を数世紀逆戻りさせる非文明的行為である」と論じ「この裁判は文明国の法律に含まれる貴い諸原則を完全に無視した不法行為」である。


 この言葉だけでわかるとおり、戦争の責任をA級戦犯として仕立て上げた責任者に全て押し付け処刑した。反論することは当時の日本人には許されなかった。



 そして、博士は広島原爆慰霊碑に献花して、述べた言葉こそがもっとも、この戦争が何であったかを物語っているとわたしは思う。


 「この『過ちは二度と繰り返さぬ』という過ちは誰の行為をさしているのか。もちろん、日本人が日本人に謝っていることは明らかだ。それがどんな過ちなのか、わたくしは疑う。ここに祀ってあるのは原爆犠牲者の霊であり、その原爆を落とした者は日本人でないことは明瞭である。落とした者が責任の所在を明らかにして『二度と再びこの遇ちは犯さぬ』というのなら肯ける。


 この過ちが、もし太平洋戦争を意味しているというのなら、これまた日本の責任ではない。その戦争の種は西欧諸国が東洋侵略のためまいたものであることも明瞭だ。さらにアメリカは、ABCD包囲綱をつくり、日本を経済的に封鎖し、石油禁輸まで行って挑発した上、ハル・ノートを突きつけてきた。アメリカこそ開戦の責任者である」


 前に私はブログで書いたことがある。あの時代に生まれていたら、私は戦争に参加していたと。日本を守るために戦った。これが私の答えである。


 心で語ったかどうかはわからないが、何も知らないでただ自分たちの親・祖父がやったことの事情も知らずに、私たちが悪かったでは、何の意味がないことに少しでも多くの日本人が知ることを私は望んでいる。


 2007年 8月15日 相楽 絆